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大阪高等裁判所 昭和54年(ネ)388号 判決

第三八八号事件 控訴人・第一審原告 清水信子 ほか二名

被控訴人・第一審被告 国 ほか二名

代理人 細川俊彦 川口初男

第六四九号事件 控訴人・第一審被告 古野一揮

被控訴人・第一審原告 清水信子 ほか二名

主文

第一審原告ら及び第一審被告古野一揮の本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用はこれを二分し、その一を第一審原告らの、その余を第一審被告古野の負担とする。

事実

第一申立

一  第三八八号事件

(第一審原告ら)

1 原判決中、第一審被告国、同兵庫県、同神戸市に関する部分を取消す。

2 右第一審被告ら三名は、各自、第一審原告清水信子に対し金一八九八万五六六七円、第一審原告清水良輔及び同清水恭子に対し各金一八八八万五六六七円並にこれらに対する昭和四九年九月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は第一、二審とも右第一審被告ら三名の負担とする。

4 仮執行の宣言。

(第一審被告国、同兵庫県、同神戸市)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は第一審原告らの負担とする。

3 第一審被告ら敗訴の場合は仮執行免脱宣言。

二  第六四九号事件

(第一審被告古野一揮)

1 原判決中第一審被告古野一揮敗訴部分を取消す。

2 第一審原告らの請求を棄却する。

3 訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

(第一審原告ら)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は第一審被告古野一揮の負担とする。

第二主張、証拠

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは原判決事実摘示中昭和五〇年(ワ)第四四五号事件関係のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決一八枚目表六行目「検乙一号証の成立は認める。」を「検乙第一号証が被告国ら主張の届済証であることは認める。」と改め、同一八枚目裏五行目「検乙第一号証」の次に「検乙第一号証は神戸市保健所発行のふぐ取扱業届済の証である。」を加える。)。

一  当審における第一審原告らの主張

兵庫県においては条例によるふぐの内臓の販売等を禁止する措置がとられていなかつたため、第一審被告古野の後記主張のとおり、一般に魚屋がふぐ専門店等の業者にふぐを販売する場合に肝を引き渡すことは当然のこととされていたのである。もしふぐの肝臓の販売等を禁止する条例があれば、魚屋はこれを理由に業者に対するふぐの肝の引渡を拒否することができ、本件事故は防げたはずである。また、条例を制定しない場合は、これを補う有効適切な行政指導が行なわれるべきであるが、これも通り一遍のものに過ぎなかつたため、兵庫県においてはふぐの肝臓の販売、提供が野放しの状況にあつた。行政当局が規制権限を適切に行使しなかつたことによる危険防止の責任を問われる要件の中には、規制権限を行使することにより被害発生の防止が容易になるとまではいえないまでも、防止の可能性が大きく見込まれる場合も含まれると解すべきであり、本件はまさにこの要件にあてはまるといえる。ふぐのような嗜好品については行政庁側から種々の規制を加えるということに、どれ程の実効性があり、妥当性について検討の余地があるとはいつても、いやしくも事故防止に有効といえるなら唯一絶対の方法でなくとも規制を行うべきであつて、これを怠つた第一審被告国、同兵庫県、同神戸市の責任は免れない。

第一審被告古野の当審における主張2は利益に援用する。

二  当審における第一審被告古野の主張

1  第一審被告古野が第一審相被告田中に販売したふぐはとらふぐであるが、このとらふぐの肝臓の毒力は強毒に属し、一〇グラム以下を食べている限り絶対に死亡しない。第一審被告古野は、昭和四〇年頃から引き続き田中に一般生魚とともにふぐを販売していたが、昭和四三年頃ふぐ調理特別講習を受講し、その際ふぐ調理についての注意事項を記載したパンフレツトをもらいこれを田中に交付し、ふぐの肝臓はなるべく客に提供しないように、提供する場合でも一〇グラム以下の少量に限ること等の注意を与えていたのであり、本件事故発生までの約一〇年間田中に販売したふぐの肝による中毒事故は全く発生していない。本件事故は田中が右注意事項に反して一〇グラム以上の肝臓を被害者に提供したために発生したものであり、第一審被告古野に責任はない。

2  第一審被告古野のような魚屋は、ふぐの内臓の毒性を知らない一般消費者に対しては肝を渡すようなことはしないが、田中のような飲食店業者の注文を受け要求があれば、ふぐの肝臓を渡さないわけにはいかない立場にある。兵庫県、就中神戸市、明石市内の生ふぐ専門店では、ふぐ料理を注文した客に対して通常肝を提供しており、これら業者が魚屋にふぐを注文する場合、ふぐの肉、皮とともに必ず肝臓の引渡しも要求されるのであつて、もし魚屋が肝臓の引渡しを拒否すれば取引は成立しない。魚屋と料理店のふぐの取引は、ふぐ一尾を丸ごと目方で売買するものであるから、魚屋としては、ふぐの肝臓の販売等を一切禁止する法律あるいは条例があればこれをたてに拒否できるが、既に売渡したふぐの肝臓を有毒であるという理由で引渡を拒否することはできない。よつて、この点からも、魚屋である第一審被告古野に本件事故についての責任があるという主張は、実情を全く無視したものといわなければならない。

三  当審における第一審被告国、同兵庫県、同神戸市の主張

1  ふぐの臓器の摂取による食中毒の発生を回避することは、ふぐ料理の提供者あるいはふぐ料理をとる者がわずかの注意を払うことにより容易にこれを回避することができるのであるから、第一審被告国において現行の食品衛生法を改正し、あるいは第一審被告兵庫県、同神戸市においてふぐの販売、提供等を規制する条例を制定してまで、ふぐ中毒の発生を防止する法的義務を負うものではない。

2  第一審被告国の機関委任事務として食品衛生行政に携つてきた第一審被告兵庫県、同神戸市がとつてきたふぐ中毒の防止対策は次のとおりである。

(一) 第一審被告兵庫県及び同神戸市は、従来食中毒の防止を図つて食品衛生法一七条及び一九条に基づいて食品衛生監視員による食品営業施設の監視指導を行つてきた。さらに兵庫県は、ふぐによる食中毒の発生を防止するため、昭和四二年一〇月九日付環第一〇五四号「ふぐによる食中毒防止対策について」と題する衛生部長通達(乙第一五号証)を県保健所長、姫路、尼崎両市長あてに発し、ふぐによる食中毒を防止するための指針を示した。これは食品衛生法に基づく食品衛生行政の一環として出されたものであるが、当然のことながら右通達は、県がふぐを提供する業者に対して監視ないし指導するときの方針を明らかにしたものであり、その内容は次のとおりである。

(1) ふぐを直接消費者に販売する場合は、内臓その他毒性のある部分を除去し、清水で完全に洗じようしたものに限る。

(2) ふぐの取扱いに用いた器具は清水で完全に洗じようしたものでなければ他の調理等に使用しないこと。

(3) ふぐの内臓その他毒性ある部分は専用の廃棄物容器に入れ、公衆又は家畜に危害を与えない方法で処理すること。

(二) 第一審被告神戸市は、ふぐによる食中毒患者の死亡率が高いことに鑑み、ふぐ中毒事故発生を防止するためにふぐ取扱い業者を指導し取締ると同時に、消費者である市民を啓蒙する方策を講じてきた。すなわち、第一審被告神戸市は、昭和四一年一〇月に「神戸市ふぐ取扱い業監視指導要領」を制定し、販売を目的としてふぐを取扱う飲食店営業者、魚介類販売業者、魚介類せり売業者に対する監視及び指導の大綱を示し、ふぐ取扱業者の監視及び指導を行つてきた。その指導要領の要点は次のとおりである。

(1) ふぐ取扱業者には営業所所在地を管轄する保健所長あてに、ふぐ取扱いの事実の届出をさせること。

(2) 保健所長は、届出者に対し、ふぐ取扱業の届出を済ませたことを示す証(検乙第一号証)を発行交付し、届出者にはこれを営業所内に掲示させること。

(3) ふぐを販売ないし提供する者には内臓等の有毒部分を除去させること。

(4) ふぐ調理に際して生じた残滓は安全な方法で処分させること。

(5) ふぐの調理に従事する者は、ふぐ中毒事故の発生を防止するに必要な知識、技能及び経験を有するに限ること。

(6) 市は、ふぐによる食中毒を防止する目的の講習会を毎年一回開催し、ふぐの調理に従事する者にはこれを受講させること。

第一審被告神戸市は、毎年ふぐの消費が伸びる一〇月から翌年三月の時節になると、ふぐ取扱業者に対して卵巣、肝臓等の有毒部分を除去すること、ふぐの調理にはふぐの調理に関する特別講習会に参加した者に限り従事させるようにすること等の指示を与えて監視指導を強化してきた。また、第一審被告神戸市は、ふぐ取扱いの実態を把握するとともに、ふぐ取扱い業者の取締り行政を円滑に行う必要上ふぐ取扱業者に対してはその旨を管轄する保健所長に届出させることにしている。そして、昭和四一年から同四九年の間に届出があつた施設においてふぐ中毒の発生が殆んどみられなかつたことからしても、神戸市当局は、ふぐ取扱いの届出をした施設については十分な監視ないし指導を行い、その成果があつたことが認められる。

なお、本件ふぐ中毒事故を発生させた第一審相被告の「鮨友」こと田中義輝は、これまで神戸市に対してふぐの取扱いをしている旨届出たことはなく、昭和四八年一二月七日神戸市の食品衛生監視員大谷和実が右「鮨友」に臨んで調査を行つた際にふぐ取扱いの有無を尋ねたときは、田中はこれを否定するなどし、ふぐ取扱いの事実を秘してきたため、神戸市は、田中に対してふぐ取扱上の指導を行えなかつたのであり、このことは田中の責任を増すことはあつても、神戸市の責任を肯定することにはならない。

(三) 第一審被告兵庫県、同神戸市は、共同して兵庫県食品衛生協会連合会、神戸市食品衛生協会らとともにふぐの調理に従事する者を対象として昭和三八年以来年一、二回(但し昭和三九、四〇年は実施しなかつた。)「ふぐ調理衛生に関する特別講習会」と題する講習会を実施してきた。同講習会では、講師としてふぐに関する専門家数名を招き、受講者に対してふぐの種類、毒性、調理の仕方等について講演し、適宜スライドを使用するなどしてふぐの有毒臓器、安全な調理方法等を平易に説明している。その際、ふぐの臓器はそもそも毒であるので、顧客に提供してはならないと指導している。講習期間は一日であつて、その実時間は約五時間であるが、ふぐの有毒臓器部分を識別し、かつこれを確実に除去することは平易なことなので、右の講習時間でも十分である。右の講習の受講者に対しては受講済証を交付し、ふぐの調理には講習会の受講者に限り従事すること、右受講済証を店内に掲示するように行政指導しているので、一般消費者としても極めて容易に当該施設が安全にふぐ料理を提供してくれるものか否かを判別できる状況にあつた。このように、兵庫県においては、ふぐ調理に従事する者が前記講習会を受講し、講習内容を忠実に遵守し、一般消費者においても受講済の掲示がある飲食店でふぐ料理の提供を受けさえすれば、ふぐによる中毒事故を回避することができたのである。

(四) ところで、ふぐ調理に従事する者の講習会への参加は、特に法令等により義務づけているものではない。しかし、兵庫県においてふぐ中毒事故が発生した場合には、県当局は当該業者に対し食品衛生法二二条に基づく営業停止処分を発している。さらに営業者は捜査当局から同法四条違反による刑事責任、刑法上の業務上過失致死傷罪の責任を問われることになる。そして、通常の営業者は、軽徴な刑事上の制裁を受けることよりも、営業停止処分を受けることの方が収益の途を閉され、かつ顧客の信用を失うことになるので、よりゆゆしい制裁として受けとめているのである。したがつて、営業者は、これらの制裁を回避するためすすんでふぐの調理に関する講習会に参加するほか、自らもすすんでふぐの毒性ないし調理に関する知識の取得にはげむことが期待される。このような場合、あえて罰則を背景にして講習会への参加を義務づける必要はなく、法令等による強制がないからといつてふぐ取扱行政が徹底していなかつたとはいえない。兵庫県及び神戸市が行つてきた行政指導が十分に成果をあげてきたことは、兵庫県において条例を制定している都道府県と比較してもふぐ中毒事故の発生率が多くないことからも認めることができる。

三  当審における証拠関係 <略>

理由

一  本件ふぐ中毒事故の発生(請求原因1)の事実については、第一審原告と第一審被告国、同兵庫県、同神戸市との間では争いなく、<証拠略>によると次の事実が認められる。

亡清水潤一は、昭和四九年一月一〇日ゴルフ仲間の野沢武三郎及び石井、橘田二名のプロゴルフアーと共に第一審相被告田中義輝の経営する神戸市生田区下山手通一丁目六番地割ぽう・すし店「鮨友」においてふぐ料理を食べた。同店はかねて野沢の行きつけであつたが、本件事故の二、三年前頃から野沢とともに清水潤一も来店するようになり、主にふぐ料理を注文していたが、両名とも食通であり、ふぐの肝臓を好物としていたので、ふぐ料理には必ずふぐの肝臓をつけて提供されていた。前記四名は同日午後六時過頃「鮨友」を訪れ、田中は、前日野沢から注文を受けて第一審被告古野一揮の経営する鮮魚店「山すけ」から仕入れていたとらふぐ一尾二・二五キログラムを同店で荒さばきしてもらい、これを用いてふぐのちり鍋を作り、さらにゆでた右とらふぐの肝臓約二〇〇グラムをマツチの小箱の四分の一位の大きさ一七片に切り、これをちり料理とともに潤一らに提供した。潤一らは、最初ひらめの刺身、しまあじ等を食べながら酒、ビール等を飲み、つづいてふぐの肝臓を食べたが、四名が各四片ずつ、残りの一片を野沢が食べた。肝臓を食べて二、三十分後、まず橘田が「しびれてきた。」といい、他の三名も口唇部等に軽いしびれを感じ、潤一は顔色が悪く三度程便所へ行つて嘔吐した。野沢は「ちよつときようのふぐはおかしい。」といつたが、誰もふぐ中毒にかかつたとは思わず、皮膚科の医師である潤一も「ゴルフですきつ腹で飲んだから悪酔いしたのだろう。」といいながら、全員そのまま飲食を続けた。潤一らは、「鮨友」で約二時間程飲食して同店を出、さらに予約していたもう一軒の店で飲酒する予定であつたが、潤一、石井、橘田の三名は気分が悪いというのでそのまま帰宅し、野沢だけが予約の店へ行つてしばらく飲酒し、同人も早く帰宅した。午後八時過頃帰宅した潤一は、自宅でも嘔吐し、妻には悪酔いしたとだけ告げていたが、間もなく口唇部、手足のしびれがひどくなつた野沢から潤一の様子について電話連絡があり、潤一の妻は、はじめて同人らがその日「鮨友」でふぐ料理を食べたことを知り、その症状からふぐ中毒であることを察知し、野沢に対しては直ちに神戸労災病院へ行くように指示し、同病院の知り合いの医師に直ちに自宅へ夫を往診するように依頼した。午後九時過頃医師の往診を受けた潤一は、注射、点滴などを受けて一時は回復したかにみえたが、午後一一時頃から容態が悪化し、急きよ神戸労災病院に入院したが、ふぐ中毒特有の症状である運動麻痺、呼吸困難がすすみ、最後には意識不明となつたまま回復せず、昭和四九年九月二三日ふぐ中毒による脳循環障害(失外套症候群)により死亡した。潤一と共にふぐ料理を飲食した他の三名も同じ日にふぐ中毒のため神戸労災病院に入院したが、最も症状の軽かつた野沢は一日で退院し、全治約一、二週間の運動障害が残つただけで、他の者も生命をおとさずに済んだ。

右事実によれば、潤一は「鮨友」で田中の提供したふぐの肝臓を食べ、ふぐの肝臓には後記のような毒性があるため、そのふぐの肝臓による中毒により死亡したことが明らかである。

二  第一審被告らの責任について

<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  いわゆるふぐ中毒になる原因は、主にふぐの臓器に含まれているテトロトトキシンという化学物質によるものである。このテトロトトキシンは、無色、無味、無臭のため五感で判定することができず、熱に強く冷却にも変化なく、わずかに強いアルカリによつて無毒化するほか、水溶性であるため水洗いでこれを除去することができる。このふぐ毒は、殆んどの種類のふぐの卵巣、肝臓、腸等の内臓に含まれ、種類によつては皮、肉にも含まれていることがあるが、肉は有毒といつても毒力は極めて弱くまず安全である。その毒力は、臓器一グラムが殺し得る二十日ねずみのグラム数すなわちマウス単位で表示され、人間の大人一人に対するふぐ毒の最少致死量は二〇万マウス単位、すなわち毒力一万単位の臓器(臓器一グラムで一万グラムの二十日ねずみを殺し得る毒力を有する臓器)なら二〇グラムを食べると死ぬと推定されている。このふぐの臓器の毒力は、一〇グラム以下食べても致死的であるものを猛毒、一〇グラム以下食べても致死的ではないものを強毒とすると、食用に供されるふぐの中でもしようさいふぐ、まふぐ等の卵巣、肝臓は猛毒、とらふぐの卵巣、肝臓は強毒であるなど、ふぐの種類によつて異なるばかりでなく、同種のふぐでも臓器の種類、季節によつて相当開きがあり、さらには同じ場所で同時にとれた同種のふぐでさえ、実験の結果では全く無毒のものもあれば、猛毒のものもあるなど個体差が著しい。しかも、その毒力、毒量は外見上からは全く見わけがつかず、ふぐの肝臓は少量なら安全だという俗説はあるが、その量に科学的根拠があるわけでなく、長年の経験などを過信してふぐの臓器を食べていると、偶々強力な毒力をもつたふぐにあたり、思わぬ中毒事故を起すことになるのである。それゆえ、ふぐの有毒臓器は絶対に食べず、業者もこれを消費者に提供しないことが、ふぐ中毒防止の有効適切な方策と考えられている。

(二)  我が国では毎年ふぐ中毒事故の発生が絶えず、特に戦後の食糧難の時代は一般家庭の手料理のみならず、業者によるふぐ調理からも中毒事故が多発し、その後昭和三八年から昭和四二年にかけての全国の統計でも、別表1のとおりふぐ中毒事故は毎年一〇〇件を越し、死者数も八〇人を越えていた。その原因の大多数はふぐの有毒臓器を食べたことにあり、また、ふぐの毒に対する関係者の理解の不十分さにもその一因があつた。そこで、ふぐ中毒事故の発生を防止するため、東京都(昭和二四年制定)、大阪府(昭和二三年制定)、京都府(昭和二五年制定)をはじめ、本件事故の発生した昭和四九年一月までに一二の都府県において、ふぐの取扱、販売等を取締る条例が制定された。これらの条例の内容は、各都府県において多少の相違はあるが、ふぐを調理する場合は卵巣、肝臓、胃腸等の有毒臓器部分を必ず除去することを義務づけ、これを消費者に提供することを一切禁止していることではすべて一致している。さらにこれを担保するために、ふぐの取扱、販売業を届出制あるいは許認可制とし、またふぐの調理に携わる者に一定の資格を有することを要求し、条例に違反した者に対して厳しいところでは二年以下の懲役、その他罰金、拘留、科料等の罰則が定められている。これら条例の内容は、既存の食品衛生法(特に四条、二二条、三〇条)を適用することによつても実現することができたのであるが、これらの都府県ではふぐの中毒事故が後を絶たないため、特にふぐの取扱いについてこのような条例をもうけたものである。しかし、ふぐ条例を制定したこれらの都府県においても、ふぐによる中毒事故はやはり発生し、条例を制定していない他の県との間に、発生件数等に特に有意の差を認めることはできない。

(三)  ふぐは主に日本の中部以南でとれ、兵庫県はふぐの多食地域であり、そのためふぐ中毒事故も多発していた。しかし、兵庫県及び政令都市である神戸市においては前記のようなふぐに関する条例を特に制定することなく、食品衛生法に基づく措置、行政指導を中心にふぐ中毒事故対策を行つてきた。昭和三八年から本件事故が発生した昭和四九年までのふぐ中毒事故の発生状況は別表2のとおりである。そこで、ふぐ中毒事故が急増した昭和四一年一〇月神戸市では、衛生局長名をもつて「神戸市ふぐ取扱い業監視指導要領」を作成し、これを各保健所長あてに発し、ふぐ取扱い業者の監視及び指導を強化した。右指導要領の内容は、ふぐを取扱う飲食店営業者、魚介類販売業者、魚介類せり売業者に対する監視及び指導の大綱を示したもので、別紙「神戸市ふぐ取扱要領」のとおりである。さらに兵庫県でも昭和四二年ふぐ中毒事件が前年を上回るいきおいで増加したため、同年一〇月九日付「ふぐによる食中毒防止対策について」と題する衛生部長通達を県保健所長、姫路、尼崎両市長あてに発し、ふぐ中毒防止のための指針を示した。その内容はほぼ「神戸市ふぐ取扱要領」と同じで、「(1)ふぐを直接消費者に販売する場合は、内臓、その他毒性のある部分を除去し、清水で完全に洗じようしたものに限る。(2)ふぐの取扱いに用いた器具は清水で完全に洗じようしたものでなければ他の調理等に使用しないこと。(3)ふぐの内臓、その他毒性のある部分は、専用の廃棄物容器に入れ、公衆又は家畜に危害を与えない方法で処理すること。」等が定められていた。次に、兵庫県及び神戸市では、共同して、飲食店営業者、魚介類販売業者で構成する兵庫県食品衛生協会連合会、神戸市食品衛生協会の協力を得て、ふぐの調理に従事する者を対象者として昭和三八年から現在まで毎年ふぐの季節に入る十、十一月頃「ふぐ調理特別講習会」を実施してきた。この講習会は、昭和三九、四〇年には実施しなかつたところ、前記のとおり兵庫県及び神戸市におけるふぐ中毒事故が多発したので、昭和四一年から再開したものであるが、その内容は、専門家を講師として招き、前記(一)記載のようなふぐ毒についての正しい知識を累々説明し、パンフレツト(<証拠略>)を受講者に配布し、ふぐの調理には必ず卵巣、肝臓等の有毒臓器部分を除去すること、客にはこれらふぐの内臓を一切提供してはいけないこと等の指導を徹底していた。この講習会は、特に参加が義務づけられているものではなかつたが、前記食品衛生協会あるいは保健所の指導により、ふぐ調理に従事している者あるいは将来その可能性のある者は殆んどこれに参加し、参加した者に対しては受講済証(<証拠略>)が交付され、これを店内に掲示することとし、この講習を受けた者でなければふぐ調理に従事してはならないとの指導がされていた。ふぐの臓器は一切客に提供してはならないとの行政指導あるいは前記講習内容について、参加者あるいは関係団体から、実情に合わないとか、厳しすぎるとの異議が述べられたことは全くなかつた。そして、神戸市では、食品衛生法一九条に基づく食品衛生監視員が各種調査のため営業者のもとを訪れる際、ふぐを取扱つているか否かを問い、取扱つていないと答えた者に対しては、もし取扱う場合は保健所に届出るように指導し、取扱つていると答えた者に対しては、保健所への届出をしていない者に対しては届出るように、客に有毒臓器の提供をしないように、講習を受けていなければ受けるようにとの指導をしていた。このような兵庫県及び神戸市の行政指導は、これに違反した者に対し条例を制定した都府県のように直接これを罰する規定をともなうものではなかつたが、現行の食品衛生法四条、二二条、三〇条等を適用することによつて、刑事罰あるいは営業停止等の処分をもつて同様にこれに対処することができたのである。その効果があつてか、昭和四三年以降の兵庫県及び神戸市におけるふぐ中毒事故の発生件数は別表2のとおり全国の統計よりも急激に減少し、営業施設での発生率は別表3のとおり、行政指導に従つて届出をし、ふぐ特別講習を受けた施設では極めて少ない発生となつている。

(四)  「鮨友」こと第一審相被告田中義輝は、約三〇年程の魚料理の経験を有し、昭和三五、六年頃から現在の場所で営業を続けているものであり、店舗は間口一間、椅子七脚程の小規模なもので従業員はなく、主ににぎりずしを提供するすし屋であり、その他刺身、てんぷら等を取扱う魚料理屋である。神戸市を含めて兵庫県ではふぐの愛好者が多く、「鮨友」でも馴染の客からふぐ料理の注文を受けることがあり、田中は、これに応じ開店二年後頃から毎年一一月から翌年三月頃までのいわゆるふぐの季節には、ふぐ料理も提供していた。「鮨友」は一見するとすし屋にしかみえなかつたので、同店でふぐ料理を注文するのは常連の客に限られ、これらの客の中には食通が多く、その殆んどがふぐ料理にふぐの肝臓をそえることを求め、田中もこれに応じてふぐの肝臓を客に提供していた。前記のとおり、神戸市においては、ふぐを取扱う飲食店は必ず保健所にその旨届出ること、ふぐの調理に従事する者はふぐ調理衛生講習会を受けるようにと指導していたが、田中は、右保健所への届出もせず、講習会も受講せず、本件事故発生の直前である昭和四八年一二月七日神戸市の食品衛生監視員が田中の飲食店営業許可の継続申請に基づき「鮨友」に調査に訪れた際、ふぐ取扱の有無を尋ねたところ、右事実を秘してこれを否定した。田中は、ふぐの肝臓が有毒で人体に危険であることは承知していたが、少量なら安全であるという俗説を信じ、客の要望も強いので一人当り四〇グラムを限度としてこれを客に提供してきた。「鮨友」はいわゆるふぐ専門店ではなく、またふぐは高価なものなので頻繁に注文を受けるわけではなく、特定の客の特別注文によりその都度ふぐを仕入れる場合が多いので、その取扱い量は、ふぐの季節の最も多いときで一か月約三〇尾程度であつたが、田中が肝臓とともにふぐ料理を客に提供するようになつてから本件事故までの約一〇年間に中毒事故が発生したことは一件もなく、同人は、前記(一)のようなふぐ毒の危険性には全く思い至らず、ふぐの肝臓は少量なら安全であるとの信念に基づき、潤一らに対して従前どおりふぐの肝臓を提供したのである。

(五)  第一審被告古野一揮は、昭和三八年頃から明石市で「山すけ」という屋号で生魚の小売販売業を営んでいるもので、一般生魚とともにふぐも取扱つていた。同被告は、昭和四二年一一月一八日開催された兵庫県、神戸市、食品衛生協会共催のふぐ講習会を受講し、前記(一)のようなふぐ毒の危険性、それゆえふぐの内臓は一切販売してはならないこと等の内容の講義を受け、その受講済証を店内の客の目につきやすいところに掲示していた。第一審被告古野は、ふぐ講習及び県の行政指導に従つて、一般の顧客に対してふぐを販売する場合は必ず卵巣、肝臓等の有毒臓器部分を除去して渡していたが、飲食店業者に対しては必ずしもこれを遵守していなかつた。飲食店業者がふぐを仕入れる経路は、店の規模にもよるが、生魚小売商を通してのほか、仲卸、中央市場さらには直接生産者から買付ける場合などがあり、小売商からふぐを仕入れる場合には、飲食店業者の調理の手間をはぶくため、ふぐの荒さばきを小売商に依頼する場合が多く、その際飲食店業者の殆んどがふぐの肝臓の引渡を要求していた。兵庫県においては、ふぐの肝臓は危険であるという思想よりも、ふぐの肝臓は少量なら安全であるとの考えが流布し、これを珍重、嗜好する者が他の都道府県に比較して多く、ふぐ料理を提供する飲食店では客に肝臓を求められることが多いので、飲食店業者は客のこのような要望にこたえるため、荒さばきを依頼した生魚小売商に対しふぐの肝臓の引渡しを求めるのが殆んどであつた。生魚小売商の間でもふぐの肝臓は少量なら安全であると信ずる者が多く、かつ渡す相手が専門の飲食店業者であるということから、前記行政指導にもかかわらずふぐの肝臓を業者に渡していた。田中の自宅は「山すけ」の近所にあり、田中が店に出勤する途中仕入れるのに便利なこともあつて、同人は昭和三八、九年頃から「山すけ」ですしのねたである生魚を仕入れるようになり、昭和四〇年頃からふぐを仕入れるようになつた。ふぐの調理には毒を除去するための水洗いに時間を要し、かつ第一審被告古野は昭和四二年にふぐの講習も受けていたので、田中が「山すけ」でふぐを仕入れる場合は必ずその荒さばきを同被告に依頼し、また他の飲食店業者と同様ふぐの肝臓の引渡を受けていた。第一審被告古野は、「鮨友」に来店したことがあり、同店がいわゆるふぐ専門店でなく、保健所への届出もせずふぐを取扱つていること、田中がふぐ講習を受けていないことを知りながら同人にふぐの肝臓を引渡していた。同被告は、田中がふぐの取扱いについてどの程度の知識を有しているかわからなかつたため、同被告が前記ふぐ講習を受けた後、田中にも受講するように進言し、講習の際配布されたパンフレツトを参考に渡し、かつ春先の産卵期にはふぐの毒性が強くなるので肝臓の提供には注意するように忠告していた。第一審被告古野もふぐの肝臓は少量なら安全と信じ、具体的には手の小指の第二関節から先の部分位の量なら安全と考え、田中も右適量を守つて客に提供するものと思つて肝臓を引渡してきたのであり、本件昭和四九年一月一〇日田中の注文でとらふぐ一尾を肉、皮と内臓のうち肝臓だけを取り出して荒さばきし、これを三つのビニール袋にそれぞれ仕分けして入れ、田中に渡した。

以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  第一審被告国、同兵庫県、同神戸市の責任

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上に努めなければならず(憲法二五条二項)、憲法のこの精神を受けて国及び地方公共団体には公衆衛生の向上、増進のため様々な権限が法令により与えられ、特に食品衛生法(昭和二二年一二月二四日法律第二三三号)は、厚生大臣、知事、政令都市の市長らに対し食品衛生行政における各種の権限を与え、食品を製造、調理、販売する業者に対する各種の規制権限を与えている。そして、この行政庁に与えられた権限は、これを行使するか否か、またどのような方法で行使するかは当該行政庁の裁量に委ねられ、権限行使によつて得られる各個人の利益は反射的利益にすぎず、権限を行使せずに発生した結果について行政上の責任を問われることはともかく、特定の個人に対して損害賠償責任を負うことは原則としてない。しかし、具体的状況のもとにおいて、行政庁の権限不行使について作為義務違反が問われ、適切に権限を行使しなかつたことが違法との評価を受ける場合、特定の個人に発生した損害につき、国家賠償法一条一項の要件を満たすものとして賠償責任を肯定すべき場合がないではない。

そこでこれを本件についてみるに、ふぐは高価なもので一般大衆の間で食されているものではなく、しかもふぐを食べる者の中でも一部の食通のみが肝臓を愛好しているものである。またふぐの内臓には毒があり、このふぐ毒が人体に危険であり、場合によつては生命を奪うほど強力であることは、我国において一般の間で常識となつているといえる。したがつて、前記のとおり兵庫県及び神戸市の一部業者あるいは顧客の間でふぐ毒の危険度の認識が甘かつたとはいえ、ふぐの中毒事故を回避するためには、ふぐ料理を食べる客の側で肝臓の提供を求めなければ足りることである。その意味で、ふぐ中毒は、人の生命、身体に対する危害という重大な危険をともなうものではあるが、具体的な危険の発生が逼迫しているわけではなく、行政庁の権限行使をまたなければ私人の側の努力で危険を回避することが困難な状況にあるとは認められない。そして、兵庫県及び神戸市において、ふぐ中毒事故の発生を防止するため対策を全く怠つていたわけではなく、前記(三)のとおり事故の発生が増加した昭和四一年頃から、担当部課及び保健所を通じてふぐを取扱う業者に対する指導、監督を強め、ふぐを取扱う業者には必ず保健所へ届出ることを励行させ、ふぐの有毒臓器は一切販売、提供してはならない旨指導し、毎年一回ふぐ調理のための講習会を開催し、ふぐ調理に携る者を対象に受講させ、さらに神戸市においては各種調査にあたる食品衛生監視員をして合せて業者の指導にあたらせるなど、右の指導内容を徹底させていたのである。第一審原告らは、兵庫県及び神戸市における行政指導及び講習では、ふぐの有毒臓器を客に提供することを絶対に禁止していたわけではないと主張し、前掲三坂、高橋証人の各証言、第一審被告古野の本人尋問の結果中には、ふぐ講習会においてふぐの肝臓は少量なら客に提供してもよいとの指導を受けた旨供述している部分があるが、講習会において受講者に配布されたパンフレツト(<証拠略>)には、随所に前記(一)のようなふぐ毒の危険性を説き、それゆえふぐの内臓は一切食べてはならないことが記載され、一般の啓蒙、広報活動のため配布された「ふぐ調理による食中毒防止について」と題するちらし(<証拠略>)でもふぐ内臓の提供を一切禁止していること(なお提供を希望する客には説得せよとさえ記載してある。)などから、到底そのような行政指導が行われていたと認めることはできない。また、前記証人及び被告本人らは、兵庫県及び神戸市において、ふぐ料理にふぐの肝臓をそえるのは当然のこととされ、客の要求がなくてもこれを提供することが慣例となつているとも供述しているが、そのような慣例があるとは本件証拠を検討しても認めることはできない。そして、兵庫県及び神戸市において仮にふぐの肝臓を業者が客に提供する事例が他よりも多かつたとしても、行政当局がその実態を知りながら業者に対する監督、指導の強化を怠つていたとは認め難い。すなわち、兵庫県及び神戸市では、かねて行政指導に反したふぐ取扱いの事例が多いとの報告を受けていたわけではなく(本件において、田中は神戸市の食品衛生監視員の調査に対し事実を隠している。)、むしろ別表2のとおり昭和四三年以降兵庫県及び神戸市におけるふぐ中毒事故の発生は激減しており、ふぐ内臓の提供を一切禁止する行政指導に対して、実情に合わないとか、指導が厳しすぎる等の異議が出されたことはなく、このようなことから当局としては行政指導の内容が遵守され効果をあげていると判断していたと推認され、顧客にふぐの肝臓が提供される事例の多いことを知りながらこれを放任していたとは認められない。そして、以上を総合すると、兵庫県及び神戸市では、ふぐ中毒事故防止のため食品衛生行政上与えられた権限を必要に応じて適切に行使し、対策を講じていたものと認められ、前記認定の事実に照しても、適切な権限の行使を怠つたとか、その権限の不行使が違法と評価され、国家賠償法一条一項に該当するというような特段の事実関係を認めることはできない。

第一審原告らは、兵庫県及び政令都市である神戸市においてふぐの取扱いを取締る条例を制定しなかつたことが、違法な権限不行使にあたると主張する。確かに、兵庫県及び神戸市のように一部業者及び顧客の間でふぐ毒の危険性に対する認識が甘く、ふぐの多食地域でもあるところでは、罰則をもうけた条例を制定し警告を与えることも有効な措置といえるかもしれない。しかし、前記のとおり、他の都府県で制定されているふぐ条例の内容は、既存の食品衛生法の規定を運用することによつても可能なことであり、これに違反する者に対する行政処分(同法二二条営業許可の取消し、営業の禁止停止)、罰則(同法三〇条不衛生食品等の販売等の処罰)にもこと欠かず、条例を制定せずとも同様の効果を得ることができるのである。そして、ふぐ条例を制定している都府県においてもふぐ中毒事故の発生は絶えず、事故の発生件数において条例を制定していない他の県との間に条例制定の効果を認め得る程の差を認めることはできず、条例制定がふぐ中毒事故防止により有効な手段であるとは必ずしもいえない。したがつて、行政庁がふぐ中毒事故の防止対策として、特別に条例を制定するかあるいは既存の食品衛生法の運用にまつかは、事故の発生状況、各措置の効果、手続、労力等諸般の事情を勘案して当該行政庁が選択することであり、まさに裁量の範囲に属するものということができる。それ故、条例制定の方途をとらず、食品衛生法の運用及び行政指導の徹底の方途をとつた兵庫県及び神戸市の措置にはなんら違法の点はなく、兵庫県及び神戸市が条例を制定しなかつたからといつてふぐ中毒の被害者に対し権限不行使の責任を問われることはない。

そうすると、第一審被告兵庫県及び同神戸市において、知事や市長がふぐ中毒事故の発生を防止するため、食品衛生行政上与えられている権限を違法に行使しなかつたとの事実は認められず、第一審被告国についても国家賠償法一条一項に該当する事由の存在を認めることはできず、右被告らにつき同法同条項該当の事実が存するとの第一審原告らの主張は理由がない。

2  第一審被告古野の責任

第一審被告古野のような魚介類販売業者を含め、一般に食品を取扱う業者は人の健康を害する虞のある飲食物を製造、調理、販売してはならない(食品衛生法四条)。前記のとおり、兵庫県及び神戸市においては、この食品衛生法の規定に基づきふぐ中毒事故の発生を防止するために、ふぐの有毒臓器は一切販売、提供してはならない旨行政指導し、講習会を実施し、同被告はそのような指導を受け、講習会を受講していたのである。同被告及び前掲三坂、高橋両証人は、ふぐの肝臓は少量なら客に提供しても安全であるとの指導を受けた旨供述しているが、そのような事実のないことは前述のとおりである。同被告は、生魚小売業者と飲食店業者との間のふぐの取引において、飲食店業者から肝臓の引渡を求められた場合、ふぐ条例のようにその禁止を明言する法令がない以上、引渡を拒否することはできないと主張し、前記両証人もそのように証言する。しかし、有毒な食品を販売してはならないことは食品衛生法四条の規定からも明らかであり、ふぐ条例のないことをもつて免責の理由とはなし得ない。同被告は、一般消費者に対してならともかく、生魚小売商と飲食店業者間の取引においてふぐの内臓の授受を一切禁止するのは実情を無視した行き過ぎた措置である旨主張するが、前記(一)のとおりふぐの肝臓は極めて少量なら必ずしも人体に危険はないといい得るとしても、その毒性は時期により、種類によつて異なるうえ、同種同時期のものの間でも個体差が著しく、外見上毒性の強弱を見分けることが困難であり、他方本件のようにこれを摂取する者の体力、体調の差によつて中毒の程度にも差があり、そのようなことから長年の経験と勘にたよつて安全と思つてふぐの肝臓を食べていると予期せぬ中毒事故にあうことがあることなどから、ふぐ中毒を回避するためにはそのようなふぐの有毒臓器を一切食べないこと、そのため業者はこれを一切客に販売、提供してはならないこととしたのであり、このような兵庫県の行政指導は決して不当を強いるものではない。東京都のふぐ条例(<証拠略>)第二条は、「何人も、ふぐを食品として販売し、調理し、加工し、陳列し、又は授与する場合は、ふぐの卵巣、肝臓、腎臓等の毒性のある部分を除去し、清水で洗浄しなければならない。」と定め、「ただし、調理師間における販売又は授与については、この限りでない。」と定めている。この規定は有毒臓器の販売等を一切禁止したうえ、業者間の流通過程では、いちいち内臓の除去を義務づけず、最終の業者においてこれを除去すれば足りるとした規定であつて、この調理師とは、同条例一条により「ふぐ取扱に従事する者であつて、知事の免許を受けたもの。」と規定されている。しかるに、本件で第一審被告古野は、田中がふぐの肝臓を客に提供することを承知のうえで敢えてこれを引渡しているのであり、右東京都条例の例外規定にあてはまる事例ではない。しかも同被告は、田中が一般消費者でなく飲食店業者であるから信頼してふぐの肝臓を渡した旨主張するが、前記認定のとおり、「鮨友」はふぐ料理の専門店ではなく、保健所にふぐ取扱いの届出をしておらず、田中自身ふぐの調理講習を受けたことはなく、ふぐ調理に関する専門的な技能、資格を有するわけではない。むしろ、第一審被告古野は、このような田中に代つてふぐを調理していたものであつて、田中が飲食店業者であるからといつて同人にふぐの肝臓等有毒臓器部分を除去しないでよいということにはならない。田中が「鮨友」において約一〇年にわたり客にふぐ料理を提供していたが、その間一度も中毒事故が発生しなかつたといつても、前記ふぐ毒の危険性及び同人のふぐ毒に対する知識、技能から絶対安全というわけではない。田中のふぐ中毒に関する知識がいかに未熟であつたかは、前記一認定のとおり、潤一らがふぐの肝を食べて間もなくふぐ中毒の必発症状ともいえる口唇部等のしびれ、四肢の知覚麻痺、嘔吐等の症状(<証拠略>)を示していたにもかかわらず、これをふぐ中毒と気づかず、早い段階での治療の機会を逸していることからも明らかである。また田中がふぐの肝は四〇グラム以下なら安全だと信じていたことに何ら科学的根拠があるわけではなく、むしろ前記とらふぐの肝臓の毒力に照すと誤つた危険な考えであるとさえいえる。

以上によれば、ふぐ毒についての正確な知識を持たない飲食店業者がふぐを扱い、有毒臓器等を一般顧客に提供するときは、不測の事態を招くことがあり、このような事態は回避しなければならないが、そのためにはふぐ毒について正確な知識を有するふぐ料理の専門業者において荒さばき等の調理をする機会に有毒臓器等を除去するなどし、これが右の飲食業者等を通じて消費者に渡ることのないようにするのがもつとも適切かつ効果のある方法であり、また、そのようにすることは右専門業者にとつてはまことにたやすいことなのである。ふぐのようなきわめて危険性を帯びた食品を取扱いこれを販売する専門業者には当然そのようなことが期待されているものというべく、兵庫県、神戸市の叙上行政指導の本旨もここにあつたものと解される。そうであるから、魚介類販売業者である第一審被告古野としては、たとえ相手が飲食店業者であるとはいつても、田中のようにふぐ料理の専門業者でもなくふぐの調理講習をも受けていない者に対しては、同人を通じ一般顧客に提供されるおそれのある以上ふぐの有毒臓器部分を一切販売、提供してはならなかつたものというべきである。しかるに、同被告は、田中がふぐ料理の専門業者でもなくふぐの調理講習をも受けていないこと及び同人がこれを客に提供することを知りながら敢えて有毒なふぐの肝臓を同人に渡し、同人からふぐの肝臓の提供を受けた潤一をしてふぐ中毒により死亡せしめたのであるから、同被告にも潤一の死の結果につき損害賠償の責任があるといわなければならない。第一審被告古野及び前掲証人三坂、高橋らは、生魚小売商と飲食店業者との間のふぐの取引において、肝臓の引渡を拒否すれば取引が成立しない旨供述するが、このように食品の販売等に従事する者が正当な根拠に基づく行政庁の行政指導を無視し一部食通及び業者の要求に迎合することが本件のような重大な結果をもたらす一因となるのであつて、ふぐ毒の危険性に思いを至すときはそのような業者間の慣行を巳むを得ないものとして肯認することはできず、右慣行をもつてただちに同被告免責の事由とすることはできない。同被告が田中に対しふぐの肝臓は少量しか提供しないように忠告し、講習会のパンフレツトを交付して受講をすすめていたことだけでは、同被告の責任は免れず、本件証拠を検討しても、他に同被告を免責するだけの事実は認められない。よつて、同被告の主張は採用しない。

三  第一審原告らの損害については、当裁判所の判断も、原判決二九枚目表四行目から三〇枚目裏一一行目までの記載と同様であるから、これを引用する。

四  以上によれば、原判決は相当であつて、第一審被告国、同兵庫県、同神戸市に責任があることを理由とする第一審原告らの控訴及び第一審被告古野に責任のないことを理由とする同被告の控訴はいずれも失当であり棄却すべきである。よつて、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 朝田孝 川口富男 大石一宣)

別表1 全国におけるふぐ中毒患者発生数

――昭和三八年から昭和四八年まで――

年別

三八年

三九年

四〇年

四一年

四二年

四三年

四四年

四五年

四六年

四七年

四八年

件数

一〇八

一〇〇

一〇六

一一三

一二三

八三

六九

四六

三九

三九

五一

患者数

一六四

一四八

一五二

一九八

一九一

一三三

一〇五

七三

七〇

七二

一〇二

死者数

八二

七九

八八

八六

八三

六二

四三

三三

二二

二二

二七

別表2 兵庫県及び神戸市におけるふぐ中毒患者発生数

昭和三八年から昭和四八年まで ( )内は神戸市のみの数

年別

三八年

三九年

四〇年

四一年

四二年

四三年

四四年

四五年

四六年

四七年

四八年

件数

一二

(六)

一三

(六)

一三

(三)

一七

(一〇)

三九

(八)

(二)

(三)

(一)

(〇)

(二)

(三)

患者数

一八

(七)

一六

(七)

一四

(三)

二〇

(一二)

五五

(九)

一六

(六)

(三)

(一)

(〇)

(四)

一〇

(三)

死者数

(四)

(三)

(二)

一〇

(六)

二三

(六)

(二)

(一)

(〇)

(〇)

(一)

(一)

別表3 神戸市における営業施設におけるふぐ中毒事故発生状況

A=発生件数 B=患者数 C=死者数

年別

年間発生件数

営業施設

家庭調理

ふぐ取扱業届出済

同なし

発生件数合計

受講者有

受講者無

受講者有

受講者無

四一年

一〇

四二年

四三年

四四年

四五年

四六年

四七年

四八年

別紙

神戸市ふぐ取扱要領

一 ふぐを取扱う飲食店・魚介類販売店は、保健所長にその旨を届出、交付された届出済証を店頭の見やすい場所に掲示すること。

二 ふぐの取扱は、ふぐ調理講習を受けた者など、ふぐ中毒防止について充分な知識技能、経験がある者に従事させること。

三 調理をする前に、必ずふぐの種類とその毒力の強さ、毒の所在を確認すること。

四 ふぐの有毒臓器などを、お客に販売または提供しないこと。

五 お客が有毒臓器などの販売または提供を希望したときは、ふぐ毒の所在、ふぐの個体による毒力の差、ふぐ毒の感受性の個人差、調理による除毒の困難さなどを充分説明し、提供しないことについての理解と協力を求めること。

六 とり除いたふぐの内臓を有蓋の専用容器に保管し、焼却など安全な方法で廃棄すること。

七 調理に使用した器具、容器を充分水洗すること。

八 従業員中ふぐ調理衛生講習会を受講していない者があれば、次の機会に受講させること。

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